ホッジポッジ・シング

育児、教育、読書、サッカー、フットサルなど好きなことをごちゃ混ぜ

3.11のこと

 東日本大震災から12年になる。当時のことを書きたい。2012年の3月に私は何をしていたかと言うと、シベリアのど真ん中にいた。大学の提携先だったロシアの大学に、言語文化体験ということで、3週間留学した。

 ロシア語は全く勉強したことがなかったが、ロシア文学(もちろん翻訳されたもの)を研究対象にしていたことや、私の好きなサッカー選手がプレーした土地であったこともあり(後者の方が動機としては強い…)、留学を決めた。

 留学中のことはまたいつか書こうと思う。印象に残ることばかりだった。

 さて、3月11日のことである。留学も後半に差し掛かり、学習のまとめの挨拶を準備していたころだったと思う。数日前に偶然出会った、お子さんを日本に留学させているお母さんが、泣きながら話しかけてきたのだ。お子さんの無事は確認されていたようだったが、当時の惨状に心を痛めて泣いてくれたのだ。

 その時、さくさくインターネットにつながる環境では無かったので、状況がよく分からず、大きな地震が起きたんだなぁ、くらいの感覚だった。

 日本に帰ってきて、ただならぬことが起きたのだと本当に実感した。テレビは常に被災地の中継。公共のCM。信じられない光景に恐ろしさを感じながら、関東や東北にいる友人の無事をmixiで確認してほっとしたりしていた。

 海外にいたことで、どこか当事者になれない自分がいる気がする。国内にいてもそうだったのかもしれないが、少し遠い感覚、絆の内側にいないような、そんな感じ。よくも悪くも。

 被災地もいつか訪ねてみたい。お仕事で一度だけ関わったことはあったけれど、実際に現地に行ったことはない。訪ねることでまた少し違う感覚が生まれてくるだろう。

 ひとまず日頃の地震対策を確認する。備蓄も足りてるのか正直分からん。子どももどう避難するかなぁ。節目節目にそういった確認をすることが大事だと思う。当たり前なことを書いて締めてしまいがち。

 

幼児教室のこと

 育児休業を取得して半年経ってから、子を週1回幼児教室に通わせた。第一子の時(私の育休の対象は第三子)にパートナーが見つけてくれた教室で、その時住んでいた場所に近く、通いやすかったのだが、実はしっかりしたお受験教室だった。我が家は結局三人ともいわゆるお受験はしなかったので、貢献できず申し訳なかったが、子どもたちは本当に良い環境で過ごすことができたと思う。

 子を預けている2時間半の間、私が自由に過ごせるのも(が?)よかった。正直お金もかかるし、無理に通わせる必要はないかなとも思ったのだけれど、ひとりの時間は本当に大切。精神衛生とはこのことかと思わせるほどに、日々のストレスを発散することができた。

 はじめはその時間に何をしようか戸惑ったが、カフェで本読んだり勉強したり、買い物したり、割と普通なことなのだが、それが良い。もはや何もしなくても良い。ひとりでいる時間があることが大事だった。

 そうやってひとりで過ごすと、不思議とさみしくなって、家族が恋しくなってきて、子を、家族を温かく迎えることができる。

 

 今日、幼児教室の修了式だった。ひとり時間も今日でおしまい。教室の後のごほうび寿司ランチ(子はうどんメイン)もおしまい。最後の方は寿司ランチを楽しみに親子で頑張っていた気もする。2歳ぐらいの時の記憶なんて無くなっていくのだろうけれど、大きくなっても写真や動画を見て思い出してほしい。

 

はじめに

 通信教育で手書きのレポートに苦戦して以来、ブログを始めたいとずっと思っていた。なかなか行動に移せないまま半年が過ぎ、ついに書き出すこととなった。

 決定的だったのは、育休主夫として過ごせる日がもうすぐ終わってしまうことだ。2年間の主夫生活で経験した様々なことを、記録しておきたいと素直に思った。

 できるだけ継続して書きたいと思う。その日に起きたこと、2年間の間に思い出した、昔のことなども書くことになると思う。

 

 ブログタイトル「ホッジポッジ・シング」は、最近読んだ本、マイケル・クローリー著 児島修訳『ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと』(青土社、2021)の中に出てくる言葉だ。「くだらないもの」という訳があててある。

 「くだらないもの」という、気軽な心構えで書くので、読む人もぜひ気軽に見てほしい。